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宮司の言葉





日々の祈り

 祓いの後、餞(せん)を進め、祝詞を奏し、お神楽を奏上する。
 お清めの後、神様への日々のお供えを献じ、世の平安と皆様の願いのお取次ぎの祝詞を奏上し、お神楽を上げる。
 日々の祈りは、過去から未来につながる神人和楽の世界。苦しいけれど、決してくじけない。
 今退いてもそれは明日のため。明日に備える今がなければ、明日を生かせない。

(令和3年5月24日)

「道」


 耳のご祈願を終え、耳明神社さんにお参り。奥さんを見守るご主人。凛とした空気とほのぼのとする空気が交差する瞬間です。お子様のためにお参りするご家族。家族愛を感じます。
 新築住宅の竣工のお礼参り。事業完遂の誇りと未来の始まる節目。人が生きていくうえで通る道は、色々です。
 神社は、その通り道で、道を確かめていただりする「事」「場所」「節目」「機会」の役割を担っているのかもしれません。

(令和3年5月5日)

「形代流し(かたしろながし)」      

 夏越大祓(なごしのおおはらへ)でご祈願した、人や車・自転車・ペットの形代を瀬戸の潮路に託しました。
 罪穢れや消し去りたい苦しみ等、八潮路に乗せて祓う。
 自らが認める罪も知らず知らず犯している罪も、積み重なれば取り返しがつきません。
 おりにふれて、古代の人々も、そのようにならないよう暮らしの節目として繰り返されてきた神事。
 『夏越の祓へする人は 千歳の命を受くというなり』という歌の意味が、年をとってやっと分かりかけてきたように思います。目に見えない神様とともにある事が、千歳の命に続く道と思うのですが、わが身にその道は、大岩戸の袖とも思えます。

(令和2年7月12日)

    「鈴」      

 「鈴」は神様をお呼びしたり、お送りする時に用いられた楽器です。
 大山神社にお参りすると、拝殿天井から左右に大鈴が吊られており、鈴緒(すずのお)を振り動かして、鈴を鳴らして拝礼します。
 その清々しい音色は、私達の気持ちを自然に神様に近付けてくれます。大山神社の「巫女舞(みこまい)」は神楽鈴を用います。
 拝殿での神楽舞(かぐらまい)の鈴は、神様をお慰めし、お参りの方を祓い清める意味があり、お守り等につけられている鈴は、魔除けや厄除け・開運の意味があります。
 『古語拾遺(こごしゅうい)』には、天の岩屋(あまのいわや)にお隠れになられた天照大御神(あまてらすおおみかみ)の心をひくために、天鈿女命(あめのうずめのみこと)が鈴を付けた矛を持って舞ったとされ、宮中では天皇陛下が天照大御神を御親拝(ごしんぱい)なされる際に内掌典(ないしょうてん:祭祀を司る女性)が御鈴を鳴らして奉仕することがあるように、神事における鈴は重要な意味があります。

(令和2年2月27日)

「祭りの祝詞」

 一人が占める大地には限りがある。
 だが、一人の言葉は万人を動かす。
 万人の心を奮い立たせ、力を一つに出来る。
 祭りの祝詞は、人々や地域の幸せや平安を祈る言葉を神に誓い、伝え、祈る言葉。

(令和元年10月18日)

「声と綾と音」

 物やコトに感じて人が動けば、コトの葉=コトバとなり『声』になります。
 『声』が他の『声』に応ずると、変化が生まれ、多くの人が応ずると、声が援けると書いて『声援(せいえん)』となります。
 意見や意思を世間に発表することを『声明(せいめい)』すると言います。
 『声』に『綾(あや)』がつく時、音になります。
 「うたふ」はうたう人と訴へる意味があり、歌うことが神へ訴へることです。
 祝詞は神様に申しあげる神主の『声』ですが、祈りを捧げる人と声に応ずる時、『綾』がつく時、『音』となり『歌』となります。
 美しい声と音と歌。これに舞が入り、神慮を畏み、神人和楽の世界が現出します。
 声と「発する物・コト」は大切な始まりです。

(令和元年8月19日)

習練

 『論語』の冒頭に、
ー学びて時に習うー
 とあります。学んだことを時に照らして、行いを復習するということだそうです。
 習うとは、作法として表現することで、たんなる復習ではないと考えております。
 習練という言葉がありますが、この論語の辞句と合わせてみますと、
 凡人にはこちらが解り易く「学びて時に習い、練る」
「学ばず・習わず・練らず」の三拍子にならないように気を付けたいものです。

(平成30年4月16日)

盆祖霊祭

「代代のおやのみかげわするな代代の親は 己が氏神己が家の神」平田篤胤
 父母があるから我がある。父母もその父母があるから父母がある。
 その父母にも父母があり、遠くさかのぼると氏(一族)の神となる。
 今、生かされて生きている我。

(平成29年8月20日)

祭祀のことは 徳と敬にあり
心敬を致さずんば
神いづくんぞ享けん

―日本後紀 桓武天皇詔―
 祭りは神に真心を捧げる事で、徳と敬ひと慎しみの心を持つことが大切です。
 これを忘れて祈っても、神様は喜んでお受け下さる事は、ありません。
 お正月のご祈願も、秋のお祭りも、神社に関する全ての物事は、この心が大切です。
 『神は非礼を受け給はず』

(平成28年10月24日)

神様と人をつなぐ「神社の職員」

 「宮司さん」「神主さん」「太夫(たゆう)さん」等、神職の呼称は様々です。
 大山神社には「宮司」(最高責任者)・「禰宜(ねぎ)(次席・副宮司)・「権禰宜(ごんねぎ)」と呼ばれる神職と、「出仕(しゅっし)」・「小太夫(こだゆう)」・「伏見稲荷大社教会教師」・「巫女」や事務職員もおり、神様と人々を『つなぐ』役割を担わせて頂いています。
 お祭りやご祈祷だけではなく、様々な形で地域や人々と神様をつなぎ、アドバイザーやコーディネーターの役割も果たしています。

(平成28年10月24日)

不易流行で、神社と地域の活性化  

 松尾芭蕉が遺した「不易」(永遠に変わらない)、「流行」(新しさを求めて時代と共に変化するもの)の心で、神社の古儀を尊び(祭礼や有職故実)ながら、時代の流れに対応(少子高齢化・交流人口・観光・連携・IT・国際化)し、地域の伝統文化や氏子さんを大切にしながら、広域的な崇敬神社・観光神社としての振興を図り、併せて地域やグループと協働し、人々の幸を増し進める。
 新しい挑戦は、波紋を呼ぶが、その挑戦が大きければ大きいほど、大きな「うねり」になる事もある。

(平成27年3月19日)

約を以て これを失する者は鮮なし

 これは論語の孔子の言葉で、「倹約・節約・節制を行っていながら、人生に失敗する者は、ほとんどいない。労を惜しまず、約する者は、その実践により、実を得る」となります。
 倹約はもちろんですが、人徳としての謙虚さや慎ましさ、控えめな言動の重要性を説いたもので、「慎重で控えめであっても、何事もコツコツと物事を進めていくことが大切である」と教えています。
 この言葉をしっかりと受けとめ、人生の成功者になりたいものです。

(平成27年3月15日)

かわいい子には旅をさせよ
 昔の旅には、苦労や危険がつきものでした。
 私の長男は、一昨年伊勢の皇學館大学神道学科を卒業させて頂き、現在広島の護国神社で権禰宜としてご奉仕させていただいています。
 護国様のご好意で、後一年すれば大山神社の本務禰宜としてご奉仕させていただくことになっています。宮司様を始めとして、職員の皆様のご指導のお陰で、親ばかですが随分成長したように思えます。
「少にして学べば則ち壮にして為すあり、壮にして学べば則ち老いて衰へず」― 佐藤一斎 ―の言葉を想います。

(平成27年3月15日)

祝詞・言霊

人の発する言葉には、霊(魂・たましい)が宿り、働きがある。
神様に申し上げる詞(ことば)を祝詞といいますが、お正月になるとたくさんのご祈祷があり、たくさんの祝詞を奏上いたします。

社家巻幡のご先祖は、藤原氏でそのご祖神は天児屋根命として大山積大神様とご一緒にお祀りさせていただいておりますが、この神様は言魂を掌る神の子といわれ、天の岩戸開きの際、善言美詞をもつて祝詞を奏した神とされ「天の声音(こえね)の命」のことで言霊の神のことです。
祝詞は、神様をお祭りし神様に申し上げる詞ですが、神主が願い主の皆様の中執持(なかとりもち)として、ご神徳をたたえ、神様のみ恵みやお導きに感謝の誠をささげ、お願い事をするとともにその実現に向けて願い主が努力をお誓いする内容となつています。

神職は、神様へのお祈りとともに、願い主の皆様の心に力強く響き、魂を安らげ、大いなる力を頂けるようにお祈りしなければなりません。
しかし、現実には「すっと入っていける時」と「本当に苦しく難しい時」などもあり、体調や声帯を崩しているときは、願い主の皆様に申し訳ないとおもうのですが、お許しください。

『大山神社でご祈祷をしてもらったら、元気と勇気が出てきて、身も心も軽くなり、本当によかった!』そんな祝詞の奏上と祈願祭を、お正月には職員共々ご奉仕させていただき、神祭りを通して少しでも皆様のお役に立てたらと念じております。

(平成15年12月20日)

因島で縁結び

物事には全て原因と結果があります。
原因から結果が出ることを因果といいます。因果の間で、縁は様々な働きをします。この働きを因縁といいます。

因縁は自分の力だけではどうしようもない部分がありますので、昔からそこのところを人々は神様や仏様にお願いをしてきました。
大山神社には、「むすび大黒」「あきない恵美須」さんがお祀りされ、縁結び・幸せの導き神様として信仰されています。
因島で縁結び・幸せの導き神様のお陰を頂いて、幸せの因(もと)を結びましょう。

(平成15年11月24日)

ワカメ

水神

境内入口の「すいじんさん」。神社の井戸の守り神様。神社の井戸は、枯れた事がありません。
本殿には、海の神様。須佐之男命(すさのおのみこと)が祀られています。

水分を与えてやると、パット!シワがのびて元気が出る!
まあ、私に水をかけても、フヤケル程度と思うのですが、さにあらず、心に潤いを与えるだけで人は若返る事が出来る。
心配事やストレスばかりだと、人間は心から老いてしまうのでしょう。
植物のたくましさに学びましょう。

災いは福の種となる

桔梗

神社の錦守の裏紋のききょう。山地に自生し、秋の七草の一つ。岩の隙間にも生育し、逆境に強い花といわれる。

苦しみや不幸を招く災いは、誰もがイヤなものです。けれども、一生のうちに災いに会わずにすむ人は只の一人もいません。そして大きな災いは、大きな不幸を呼び、心を暗闇におとし入れます。
しかし、この世のことは、この世で全て終わると言われるように、どんな不幸も、太陽が昇らない日がないように、やがてはやわらいでくるものです。
大きな災いを克服するには、災いに向かっていく強い心と、たゆまぬ努力が必要となります。
苦しく長いトンネルの向こうには、その強い心とたゆまぬ努力が、生み出す福が待っています。大きな災いは、大きな福を生む基となるのです。
その意味では、災いは福の種となり得ます。
今、苦しく辛いお方がおられたら、そのように考え行動しましょう。
神様は、強い心とたゆまぬ努力を生み出す力を与えてくださいます。

千年の大木


(大山神社のご本殿と森)

千年の大樹も、小さな種から始まり、お日様(おひさま)や大地の恵により生かされ育ちますが、良く見てみると、切り傷や途中枯れなど、ただすくすくと育ってはいないようです。
大樹になるには運気もあるようです。
そして、それはすごい事です。
だから、昔から私達は大樹には神霊が宿ると考えてきました。大きな木には、たくさんの物語があるんだと思います。 私達は千年も生きられませんが、木に敗けたくないものです。
私達の人生も、時の流れの中で、強い風に枝を折られたり、お日様が当たらなくて枯れたりする様な事もありますが、しっかりと大地に根を張り、お日様や大地の神様など八百万(やおよろず)の神々様、そして回りの人々のお助けを頂きながら、枝葉を伸ばし、世のため人のためにも奉仕し、一生を歩みたいものです。

災厄(さいやく)と 信心(しんじん)

人の一生に、災厄(わざわい)がなければ、それにこした事はありませんが、幸せと不幸は、どちらも日々の暮らしの中でその相(すがた)を見せます。
幸せな時に不幸を予感し、備えるのはとても難しい事ですし、不幸なときに幸せを予感し、過ごすのはさらに難しい事です。
しかし、それが信仰のあるべき相(すがた)と言えると思います。 神様は、そのように人生を考え行動する人に、宿ってくださるんだと思います。

冬芽(ふゆめ)

晩夏から秋にかけて生じ、冬を越え、春になって成長する芽のことを冬芽というそうです。
「ふゆめ」とも「とうが」とも読むようですが、わたしはどちらの読みも好きです。
冬。目にはみえませんが、この「冬芽」じっと頑張っているのでしょう。
春の美しい花々や、輝くばかりの緑は、この「冬芽」の頑張りがなければ、おめにかかれません。

考えてみると、世のなかでは人の一生に限らず、何ごとも「冬芽」のときが随分と長いようです。
花も実もある人生と言いますが、この芽のない人生も、また、ないようです。冬の季節が厳しければ厳しいほど、美しい花を咲かせ、立派な実も成ることができるのでしょう。
冬のあとには必ず暖かい春がくるということです。自然の営みは、営々として続きます。
私たちの人生も、どんな花が咲き、実が成るかはわたしたちの頑張りにかかつているんだと思います。

人の力はか弱いもの 困ったときは神頼み

人の力には限りがあります。
心に暗い影が差し、悩み苦しみ、どうしようもなくなる事があります。
そんな時は、迷わず神様にお参りし、お祈りし、おすがりしましょう。
困った時の神頼みは、本気でお祈りする分、本当におかげがあるものです。

蒔かぬ種ははえない いつでも蒔ける自分種

物作りでは少し見方を変えたり、工夫する事で、その物がずいぶん早く出来たり、良く出来たりします。
日々のくらしや仕事も一緒で、蒔いた種ははえると言いますが、蒔かない種は決してはえる事はありません。
自分の種を蒔き、育て、花を咲かせましょう。

新しい年に 生命力(いのち)の更新

新しい年を迎えると、私たちは「今年こそは」とか「今年からは」と夢や希望をいだき、"一年の計は元旦にあり″と申しまして、やる気をおこします。
初詣には、一年の幸せをお祈りし、誓いと願いを籠めます。
そこには、神さまの新たなお力(恩頼みたまのふゆ)、つまり、私達を守って下さる生命力にあふれた神霊の力をいただこうとする姿があります。
昔から神さまには全ての物を生かし伸ばす力があり、その働きにより年ごとに生命力を更新するという信仰があります。 前述のような新年に夢や希望を抱く底には、長いあいだに培われた、このような生活の中の信仰が見えます。
生きる力を高める。これは、全ての人に神様が与えてくださっている大切な宝物です。

新しい年には、新しい気持ちで一生懸命に努めましょう。幸せな方は、更に幸せになれますように感謝と奉仕に努め、不幸な方は、その不幸を乗り越えられるように祈り励みましょう。